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小木漁港(第2種 新潟県管理)

2010年11月22日
小木漁港(小木地区)
小木漁港(小木地区) 平成22年11月撮影
小木漁港(琴浦地区)
小木漁港(琴浦地区) 平成22年11月撮影
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漁村の歴史

【小木】
 安隆(あんりゅう)寺の三十番神の石造物に永禄9年(1566)4月13日紀銘で「願主 佐州羽茂郡小木津の住人 高津新左衛門尉季文」と刻される。小木津は元小木の澗と呼ぶ入り江を指す。
 慶長9年(1604)に大久保長安に従って小木城に入った原土佐が問屋5人と番所の設置を行って以後町場が形成された。5人の問屋は慶安5年(1652)小木十分一船役御帳に久右衛門、清平衛、次左右衛門、勘左衛門、治部左衛門とある。
 佐渡の金銀は小木湊から出雲崎(いずもざき)に運ばれ、出雲崎より信濃国を経て江戸や駿府(すんぷ)(現静岡市)に運ばれた。
寛文12年(1672)河村瑞軒により西廻航路の開設に伴い大型廻船の寄港地として町化が進み、南佐渡の玄関口の性格を有した。「佐渡おけさ」は小城に寄港した船乗りによってもたらされたハイヤ節が元唄とされる。
 「佐州巡村記」では戸口437軒、1521人(うち問屋20人)。
 内ノ澗は現漁港、外ノ澗は現商港である。
 木崎(きさき)神社があり、正徳2年(1712)から享保6年(1721)には、金は当社拝殿に置くこととされ、ここで日和待ちをした。

【琴浦】
 小木村のうち小藤田組に属する集落で、鯳(すけとうだら)漁業を主たる生業とする。鯳の延縄漁は慶長(1596~1615)頃石見国の漁師によって広められたと伝わる。
 寛延2年(1749)小藤田漁師中と小木町漁師中との間で交わされた証文によると、小木町村と小藤田とは上ぐりと下ぐりで1ヶ月交替に操業する協定を結んでいる。出漁船数も決められ、文政3年(1820)の一礼によると双方12隻ずつとされている。
(出典:新潟県の地名 平凡社刊)