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新潟県ホーム の中の農林水産業の中の親不知漁港(第1種 糸魚川市管理)
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親不知漁港(第1種 糸魚川市管理)

2010年11月22日
親不知漁港
親不知漁港 平成17年11月撮影
こちらをクリックすると、漁港の詳細なデータが表示されます(PDF形式  215 キロバイト)

漁村の歴史

【親不知】
 親不知(おやしらず)は飛騨山脈の北端が断崖となって日本海になだれ落ちる中核部に当たり、古来北陸道最大の難所として知られる。日本海に迫る懸崖・絶壁・岩礁・洞窟などの大断崖と砂浜による景観は「子不知」とともに県指定名勝とされ、波除観音、大フトコロ、波除不動、走り込み、大崩れ、避難岩などの名がある。
 長享3年(1489)親不知を越えた京都相国(しょうこく)寺の僧 万里集九は「梅花無尽蔵」に波をよけて海岸を通り抜けるのに足をすりむいた様子を書いている。
 難所であるため、北陸道の要所を占め、戦略上争奪の場となった。その様子は源平盛衰記 巻28(北国所々合戦)や承久記に記される。また「越後野志」では永正5年(1508)6月に上杉顕定と長尾為景の親不知合戦を伝える。
 寒原(かんばら)、蒲原(かんばら)はともに親不知の異名で、時代によって呼び方が変わった。
(出典:新潟県の地名 平凡社刊)