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新潟県ホーム の中の農林水産業の中の大和川漁港(第1種 糸魚川市管理)
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大和川漁港(第1種 糸魚川市管理)

2010年11月22日
大和川漁港
大和川漁港 平成17年11月撮影
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漁村の歴史

【大和川】
 漁港背後は日本海に面する北陸道沿いの田伏(たぶせ)村で、西の海川(大和川とも云った)河口に大和川村がある。
 天和3年(1683)の郷帳では田臥村と記し、高121石9斗余。村内に糸魚川藩の郷蔵である田伏蔵が置かれた。
 元文元年(1736)10月6日、当地方一帯は高波に襲われ、家・道・船などに多大な被害を受け、これを「元文の波崩れ」とよんだ。糸魚川藩では国役普請を幕府に願い出、翌年検分師が派遣された。元文3年9月には村普請が行われ、屋敷表波除け長さ69間3尺、屋敷継波除け長さ16間、堀川1箇所、往来橋1箇所であった。また文化3年(1806)10月24日にも大波の被害があり、翌年東西90間の波除け普請では、人足3千183人、大杭181本、小杭180本を要した。
 村内奴奈川(ぬながわ)神社の榊神官家の日記によると、文化元年(1804)には9千籠余、嘉永4年(1851)には8千籠余の鰯の漁獲があった。1籠は12貫匁くらいとされる。大漁の時は奴奈川神社へ初魚が奉納され、神官家ではそれを干鰯にして売却した。10月には鱈漁が始まり、初魚の奉納があった。
(出典:新潟県の地名 平凡社刊)