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新潟県ホーム の中の農林水産業の中の名立漁港(第2種 新潟県管理)
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名立漁港(第2種 新潟県管理)

2011年09月16日
名立漁港
名立漁港 平成22年10月撮影
こちらをクリックすると、漁港の詳細なデータが表示されます(PDF形式  144 キロバイト)

漁村の歴史

【名立】
 地名発生の由来で有力なのは「灘立ち(なだたち)」で、日本海に突き出た海岸は北西の強烈な風波を受ける難所であるという意味。古代、国造時代には鳥ケ首岬周辺の崖上に大国主命や出雲族が住んでいたと伝わる。「延喜式」兵部省に越後国駅馬として「名立(なたち)」がある。
寛延4年(1751)4月25日の大地震で、名立小泊の80余戸がそっくり海中に没し、800名近い住民のほとんどが亡くなったと云われる。今も崖崩れの跡が高さ140m、長さ600m余の断崖となって残り、「名立崩(なだちくずれ)」とよばれる。
 江野(えの)神社、名立(みょうりゅう)寺がある。名立寺は加賀前田氏の参勤交代の宿所となり、赤門として知られる。
(出典:新潟県の地名 平凡社刊)
追記:名立崩れ
名立崩れ位置写真
名立崩れ位置写真
(出典:防災科学技術研究所)
越後国頸城郡高田領往還破損所絵図
 この絵図は1751年5月21日(旧暦4月26日)午後2時頃発生した宝暦の高田地震(M7.2)による上越市鳥ケ首岬付近の土砂災害の様子です。これは高田藩が幕府に災害の状況を報告するために、海に船を浮かべ描いたものといわれています。絵図からは、海岸沿いで大規模な地滑りや崩壊が数多く発生したことを読み取ることができます。また、絵図としては残されていませんが、名立小泊では集落は以後の大規模な地滑りにより住民の約8割に当たる428人が死亡したという記録が残っています。
(雪崩・地すべり研究センター)