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新潟県ホーム の中の農林水産業の中の鯨波漁港(第1種 柏崎市管理)
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鯨波漁港(第1種 柏崎市管理)

2010年11月22日
鯨波漁港
鯨波漁港 平成11年11月撮影
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漁村の歴史

【鯨波】
 文明18年(1486)7月道興准后は「廻国雑記」に「くじらなみといへる浜を行けるに、折節鯨のしほをふきけるを見て」として「わきてこの浦の名にたつくしら波曇るうしほを風も吹く也」と詠んでいる。
 正保国絵図に高513石余。天和3年(1683)の越後中将御領覚では高535石5斗余(うち山高12石、塩高1石5斗余、漆高1石7斗余)のほか、12石4斗余と1石7斗余の新田が2箇所ある。
 天保9年(1838)の御巡見様御案内帳では戸数195、男473、女457、女馬6(うち宿馬25、作馬36)男牛36。農間に男は宿役のほか薪伐、女はその手伝いと布織に従事。海浜であるが漁業はなく、製塩浜1反余。わずかに塔野輪(とうのわ)で引網漁業を行っている。
 北陸道最初の戊辰戦争、所謂鯨波戦争の戦火で当村は全焼した。
 曹洞宗妙智(みょうち)寺がある。
(出典:新潟県の地名 平凡社刊)