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新潟県ホーム の中の農林水産業の中の高浜漁港(第1種 柏崎市管理)
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高浜漁港(第1種 柏崎市管理)

2010年11月22日
高浜漁港
高浜漁港 平成11年9月撮影
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漁村の歴史

【高浜】
 明治34年(1901)椎谷町と宮川町が合併して高浜町となる。
 椎谷町は北陸街道の宿駅で、二田(ふただ)(現柏崎市西山町)の物部(もののべ)神社に伝わる「二田宮伝記」によれば「南嶺之谷間から椎木菓を例年神饌として供したので椎谷の名がある」とする。
 慶長15年(1610)6月5日大久保長安は「しいや駅」の年寄中に宛北陸街道の伝馬定を発している。海陸交通の番所の役を果たしたと見られる。
 真言宗豊山派大辻山正福寺華蔵(けぞう)院があり椎谷観音で知られる。寺内には馬市が立ち、最盛期には四千頭の売買もあったという。明治37年(1904)の記録では集散数1024頭、取引数313頭であった。
 宮川村は応永16年(1409)の三月晦日の覚園(かくおん)寺評定衆連署寄進状に鎌倉覚園寺の開山塔泉龍(せんりゅう)院の料所として「越後宮河自在寺」など四ヶ所が覚園寺住持らにより寄進されており、当地に覚園寺所領が存在した。正保国絵図に宮河村とあり高250石余。延宝7年(1679)の越州四郡高帳に「此所駅馬船寄有之」と記す。元禄8年(1695)の村明細帳に戸数222、男688、女602。生業は農業、漁業、鮮魚商、水陸運送業など多岐にわたる。漁業は磯釣、磯見、手繰網、延縄、刺網、引網などで、漁船34、引網船3、鮭刺網船2、磯見船1。廻船6、伝馬船3と記される。
(出典:新潟県の地名 平凡社刊)