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出雲崎漁港(第2種 新潟県管理)

2011年10月05日
出雲崎漁港
出雲崎漁港 平成22年10月撮影
こちらをクリックすると、漁港の詳細なデータが表示されます(PDF形式  135 キロバイト)

漁村の歴史

【出雲崎】
 戦国期には上杉氏が陣屋を置いたと云われる。近世には佐渡金銀の揚陸港、越後の幕府領米搬出港、北国街道の要衝として幕府領出雲崎代官所が置かれたが、寛永二年(1625)代官所の尼瀬移転、同八年尼瀬湊の築造により政治経済の中心は漸次尼瀬に移った。
 寛永14年(1637)の出雲崎町差出明細帳によれば、170石から450石積みの廻船11艘、小廻船26艘、鱈漁船23艘、三半漁船44艘、丸木漁船90艘、磯漁丸木船48艘で、廻船の数では尼瀬が多いが漁船は出雲崎町がはるかに多い。廻船の主業務は佐州御用と幕府米領・商人米の廻米であった。
 遠近の文人の来訪も多く、当地からも文人を排出した。来訪者には芭蕉、亀田鵬斎、十返舎一九、小林一茶、巻菱湖、谷文晁、頼三樹三郎、吉田松陰ら、地元では良寛、山本以南、山本由之(良寛の実弟)、鳥井権之助らがいる。
 近代に至り石油産業発祥の地(新日本石油(株)の前身(有)日本石油を明治21年(1888)尼瀬に設立した)として栄えた。
 石井(いわい)神社、諏訪神社、山王神社始め仏閣は多数ある。
(出典:新潟県の地名 平凡社刊)

追記:
 天領として栄えた江戸時代、当地は越後経済の中心地であり、人口は爆発的に増加した。当時は間口の広さで課税されていたこともあり、間口が狭く奥行きの長い「妻入り」の町並みが3.6kmに渡り形成された。この町並み景観の保存と町の再生を図っている「出雲崎町妻入りの町並み景観推進協議会」が国土交通省第26回「まちづくり功労者国土交通大臣表彰」に選ばれ、建築史研究者から注目されている。また22年度、町ではこの町並みを散策しながら旧所名跡を巡る散策路「出雲崎シーサイドコース」を整備した。
 最近ではジェロさんの演歌「海雪」の舞台としても知られ、ジェロさんは平成21年4月1日「いずもざき観光大使」に就任した。NHKの「それゆけ!民謡うた祭り」等で活躍の民謡歌手 剣持雄介さんも「出雲崎おけさ大使」に就任し、出雲崎おけさのPRに尽力いただいている。(後述参照)
 また中越沖地震(平成19年7月16日発生)後、出雲崎町沖の海底から引き揚げられた北前船のものと見られる錨が同町尼瀬の「天領出雲崎時代館」に展示されている。鉄製で長さ約3m、重さ推定約200kg、江戸から大正期の和船に使われた四爪錨(よつめいかり)で付着したフジツボなど細部まで発見当時の姿をとどめている。地震後大量に出現し話題となった縄文古木も見られる。
 当地はまた「おけさ源流の地」としても知られる。源義経の家臣 佐藤継信・忠信の母 音羽御前が戦死したわが子を悼む旅の途中当地にたどり着き、尼僧となった。弔いの日々を送る中、息子らが戦で名誉ある死を遂げたと聞き、嬉しさの余り袈裟のまま歌い踊った。これが「袈裟→お袈裟→おけさ」となり、後に「おけさ」の源流になったと言われる。毎年行われる「出雲崎おけさ全国大会」には大勢の参加者で賑わう。
(参考:出雲崎町広報誌など)
追記:
「出雲崎で6日「ストリートジャズ」」プロ奏者4グループが演奏
 歴史ある妻入りの町並みで県内のプロの演奏家がジャズを奏でる「出雲崎ストリートジャズ」が平成23年(2011)8月6日、出雲崎町で初めて開催される。実行委員会メンバーがJR出雲崎駅などに目印の旗を立て、準備を進める=写真=。
 4年前の中越沖地震以降中止となっている出雲崎夕日コンサートの主催団体「出雲崎夕日の会」のメンバーが「コンサートの代わりに音楽イベントをしよう」と企画した。
(新潟日報2011年8月5日)
「出雲崎「船まつり」で漁船パレード」
 ことしで60回目を数える伝統の船まつりが平成23年(2011)8月15日、出雲崎町の出雲崎漁港で開催された。海の安全と大漁祈願に加え、東日本大震災の復興への願いを込めた。メーンイベントの船団パレードでは10隻の漁船が観光客ら約400人を乗せ、色鮮やかな大漁旗をなびかせながら沖合を走った。
大漁旗で彩られた漁船が穏やかな海を走った船団パレード=15日、出雲崎町尼瀬
大漁旗で彩られた漁船が穏やかな海を走った船団パレード=15日、出雲崎町尼瀬
 町や新潟漁協出雲崎支所、町商工会などで構成する「船まつり協賛会」が主催した。式典では4年前の中越沖地震から復興を遂げた町として、東日本大震災からの復興を願う祝詞を奏上。被災地にエールを送った。
(新潟日報2011年8月15日)
「出雲崎 食べ歩きラリー2011」
 新潟県出雲崎町の新名物を選ぶ「出雲崎食べ歩きラリー2011」が平成23年(2011)10月1日、同町の海岸地区で行われた。
 全国から寄せられたレシピをもとに作られた料理を、参加者らが古い街並みを歩きながら食べた後、投票で「名物」を決めるというユニークなイベント。同町も初の試みに「街歩きと食の観光と、両方の面で相乗効果があれば」(産業観光課)と期待を寄せている。
 町には獄門跡、良寛堂など江戸時代の史跡があり、妻入りの屋根が続く北国街道の古い街並みを見に訪れる人も多い。しかし、町への観光客は年々減っており、昨年度は約20万4000人。サバやノドグロを炭火で焼いた料理はあるが、目立った土産物や名物がないのが悩みの種だった。
 そこで、町と東京に本社のある出版社が協力。新しい名物を誕生させることで、街並みを生かした観光に結びつけようと、今回のイベントを企画した。
 当日は、全国から寄せられたレシピの中から、小林則幸町長ら審査員5人が厳選した7点(初秋の出雲崎のブイヤベース、コシヒカリと鯛の黄金焼きもずくあん、お豆腐の簡単もずく揚げ、鯛を純米酒の香りで包んで、ニギスともずくの前菜、てこね寿司、鯛と巨峰の白和え)が、街道沿いの料理店や旅館計6店に並んだ。出雲崎沖でとれるアオリイカを使ったブイヤベースをはじめ、マダイ、モズク、県産のコシヒカリを組み合わせたあえ物など、自慢の素材を生かした味覚がそろった。
 食べ歩きには県内外から130人が参加。7点すべてを食べた上で、出雲崎の新名物にふさわしい料理に投票。結果は「ニギスともずくの前菜」がグランプリに選ばれた。油で揚げたニギスと軟らかいゼラチン状のもずくを和えたもので、日本酒と合うさっぱりした味覚が評価された。レシピを作ったのは東京都杉並区、竹中紘子さん。
(2011年9月23日、10月2日 読売新聞、出雲崎町ホームページ)