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新潟県ホーム の中の農林水産業の中の桑川漁港(第1種 村上市管理)
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桑川漁港(第1種 村上市管理)

2010年11月22日
桑川漁港
桑川漁港 平成17年11月撮影
こちらをクリックすると、漁港の詳細なデータが表示されます(PDF形式  203 キロバイト)

漁村の歴史

【桑川】
 文禄(1592~96)頃の瀬波郡絵図には「大国但馬分桑河村 上」とみえ、本納五斗四升、縄高八石四斗九升四合、家4軒、とある
 文政10年(1827)江差(現北海道江差町)関川与左衛門宛新潟湊からの醤油の積送状に「本間長五郎殿分」と記され、廻船業に関わる者がいたか。
 十二神社、曹洞宗正福(しょうふく)寺がある。
(出典:新潟県の地名 平凡社刊)
追記:旧山北町(さんぽくまち)鳥越(とりごえ)山から寒川(かんがわ)集落の南狐(きつね)崎に至る延長11kmに及ぶ海岸を「笹川流れ」という。岩間を盛り上がるように流れる潮流を笹川集落の名にちなんで付けられたという。国指定名勝・天然記念物で瀬波笹川流粟島県立自然公園に含まれる。日本海に突き出る花崗岩の岬や岩礁には松が茂り、その間に砂浜が続く。
 文禄(1592~96)頃の瀬波郡絵図にも海岸沿いに松の生えた岩の岬と海中の巨岩が並ぶ様子が描かれる。
 文人 頼山陽の子、幕末の志士であった頼三樹三郎は男鹿と松島の景観を併せ持つ当地をたたえ「松島はこの美麗ありて奇抜なし 男鹿はこの奇抜ありて美麗なし」と詠んだ。