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【第16回 ピックアップ!地域づくり人】 水戸部 智さん (柏崎市/NPO法人柏崎まちづくりネットあいさ 事務局長)

印刷 文字を大きくして印刷 ページ番号:0040681 更新日:2019年3月29日更新

 今回ご紹介するのは、柏崎市内を中心にまちづくりを支援する中間支援組織「NPO法人柏崎まちづくりネットあいさ」の事務局長 水戸部 智(みとべ さとる)さんです。

ラーメン屋から「まちづくりの仕事」への大きな転換のワケ

第16回 地域づくり人 水戸部智さんの画像

第16回 地域づくり人 水戸部智さん

 水戸部さんは、長野県出身で、高校卒業後、大学進学をきっかけに柏崎市での生活を始めました。当時抱いていた夢は、「公園を作ること」だったといいます。

 大学3年生まではラーメン屋で熱心にアルバイトをしており、ラーメンづくりの腕を磨いていきました。
「当時は、お金で世の中の大概のものは買えると思っていました。金=幸福という図式が成り立っていたんですよね。」
 その当時は、「自分のラーメン店を持つ」という夢も持っていたということです。

 そんな水戸部さんの転機となったのは、大学3年生の時に発生した中越沖地震でした。
 水戸部さんが大学の授業で最も興味を持ったのが、田口太郎先生(現徳島大学総合学部准教授)のまちづくりに関する講義だったといいます。田口先生のゼミに入った水戸部さんは、地震の被害が市内で最も大きかったといわれる「えんま通り商店街」の復興プロジェクトに参加することになります。
 復興プロジェクトで「えんま通り商店街」の関係者など地域の方々と関わった日々について、「ラーメン屋でアルバイトをしていた3年間より、プロジェクトに参加した最初の3日間の方が長く、濃密に感じた」と水戸部さんは語ります。アルバイトをしていた時は、学校と住居とアルバイト先の往復だけで、それが別に柏崎でなくても良かった生活が、このプロジェクトを通じて初めて「柏崎」という地域を強く意識することになったのです。

 そんな濃密な「現場」での日々を送りつつ、さらに、田口先生の周りにいる人々との出会いも、水戸部さんにとって印象的なものであったそうです。
 田口先生の周りにいたまちづくりを仕事にしている人々を見て、水戸部さんは「まちづくりという仕事があるんだなぁ」と知ります。「楽しそう」に仕事をする彼らとの出会いが、水戸部さんの「知らない仕事」であった「まちづくり」を、自分が取り組む仕事として意識させるきっかけとなります。

 その頃長岡で行われていた、復興支援員への研修会に参加し、まちづくりのプロセスなどを学ぶことで、さらにまちづくりへの関心を深めていきました。
 「えんま通り商店街」という現場を持ちながら、研修会で地域づくりのプロセス等を身につけた、その両方があったことで、柏崎での「まちづくりの仕事」は、いよいよ現実となっていきます。

いよいよまちづくりの世界へ―逆境を切り拓いたのは「ジャックナイフ」だった!?

ワークショップの様子の画像

ワークショップの様子

水戸部さんは、大学4年生の時に、中間支援組織「中越沖復興支援ネットワーク」を立ち上げます。
「その頃、これからは中越沖地震の被災地域でもネットワークを作っていかなければならない、だから復興を旗印にした中間支援組織を作りましょう、という機運が高まっていたので、『自分がやろう』と思いました。組織を立ち上げた当時は、役員以外の専属の職員がおらず、現場はほぼ一人で運営していたようなものでした。大学の在籍時からこの中間支援の仕事を始めて、現在もその仕事をそのまま続けているといった感じですね。」
この「中越沖復興支援ネットワーク」が、現在の「NPO法人柏崎まちづくりネットあいさ」の前身となります。

 立ち上げ当初、市内に31箇所あるコミュニティセンターを全て周りながら地域での困り事やニーズを聞き取ったり、地域を元気にしたいという思いをもつ人を支援するなど、少しずつ様々な事業をスタートさせていきます。

 ところが、いきなり順風満帆とはいかなかったようで。
 当時のことを、「(行政や地域の)誰からも相手にしてもらえなかった」と水戸部さんは振り返ります。
当時は組織自体が地域に十分認知されておらず、行政からの信頼もなく、しかも、そもそも若い人が地域に来て地域課題等に取り組むことが、今ほど地域に浸透していませんでした。

 そんな中でも、水戸部さんが大切にしていたことは「言いたいこと、思ったことは遠慮せずに言う」ということだったとか。
 「そもそも認知されていないわけですから。黙っておとなしくしていても状況は変わらないので、様々な場面で遠慮せずズバズバものを言うようにしていました。それを続けていったら、少しずつ話を聞いてくれるようになって、会議などにも呼んでいただけるようになっていったんです。20代はずーっとそれを続けていたような感じでしたね。いつの間にかついたキャッチコピーが『ジャックナイフ』。でも、30代になった今となっては、はずかしい過去ですが。」

 水戸部さんがこうしてたゆまぬ努力を続けている中、柏崎市全体の市民活動も徐々に転換期を迎えていきました。
 中越沖地震までは、自治会や町内会などを単位とした地縁型の市民活動が多く存在し、行政もそれらに対して支援を行っていましたが、地震をきっかけに、外部から地域へ復興に携わる人が出入りすることで、「人のつながりはもっと多様で、活動の仕方も様々なのでは」という風潮が生まれてきたのです。
 こうした流れから、柏崎市内で具体的なテーマに基づいた人々の集いであるテーマ型のコミュニティが増加し、行政もテーマ型コミュニティを支援する新たな施策を打ち出していきます。そこで、『中越沖支援復興ネットワーク』は、大きなチャンスをつかむことになります。
 「市の施策で、『元気なまちづくり事業補助金』というテーマ型コミュ二ティを支援する補助金を作ったり、『元気塾』という地域づくりのリーダー育成を行っていたりしたんですね。その企画運営を、『中越沖支援復興ネットワーク』が協力して行うことになったんです。それがきっかけとなり、地域のみなさんからの信頼を少しずつ得ることができました。」
 水戸部さんの「ジャックナイフ」時代が、ついに実を結ぶことになったのです。

そして現在へ―この10年間で変わったこと

NPO法人柏崎まちづくりネットあいさのメンバーの皆さんと水戸部さん

NPO法人柏崎まちづくりネットあいさのメンバーの皆さんと水戸部さん(左から2番目)

 中越沖地震から5年、現状はもはや「復興」の段階ではないとの判断から、「中越沖支援復興ネットワーク」は役目を終えようとしていました。
 そして、「(復興時でない)平時のまちづくりにおいても、中間支援組織は必要なのか?」について連続したワークショップを開催し、半年間ほど議論を重ねていきました。そこで出た「必要だ!」という結論に基づいて、2012年に設立した法人が「NPO法人柏崎まちづくりネットあいさ」です。

 その頃から、市民活動センターを柏崎に創ろうという議論もはじまりました。それが、2015年11月にオープンした「かしわざき市民活動センターまちから」です。
 「まちから」の窓口への相談件数は、現在では年間650~700件ほどであるとのことで、多くの市民から親しまれている施設であることが伺えます。設立当初、「まちから」は市の直営施設でしたが、平成30年度より「NPO法人柏崎まちづくりネットあいさ」が指定管理者となっています。今後の「まちから」の活動にも注目ですね。

 「NPO法人柏崎まちづくりネットあいさ」が設立されてから5年、「中越沖支援復興ネットワーク」時代も含めると10年。この期間には、目に見えた変化があったといいます。水戸部さんはこう振り返ります。
 「自分がまちづくりに関わり始めた大学時代は、まちづくりの会合には『おじさん』と『おばさん』しかいなかった。それが今は、若い世代も参加するようになってきていて、地域づくり活動を牽引する30代のキーマン的な人も出てきている。こうして若い人材が活躍していることが、自分たちのこれまで行ってきたことの成果の一つだと思っています。
 さらに、こうした人たちがモデルとなり年代問わず地域づくりへの興味関心は高まっているし、興味を持った人たちの相談窓口として『まちから』もある。(柏崎での地域づくりの次のステップに進みやすい)環境が整ってきたことも、この10年の成果ですね。」

 「NPO法人柏崎まちづくりネットあいさ」の今後の方向についてもお聞きしました。
 「今まで『あいさ』の事業は、市と協働で実施するものが多かったのですが、これからはどうやって民間から資金調達し、やる気のある人たちへの支援をしていくかが課題です。今年は、専門家の指導を受け、これから3年くらいかけて『市民ファンド』を作っていくことを考えています。市のまちづくり支援事業も縮小へ向かっていく中で、それでもやる気のある人を応援するスタートアップの制度は今後も必要だと思いますから。」

 闇の中を必死で切り拓いた「ジャックナイフ」時代を経て、少しずつ信頼を勝ち取ってきた水戸部さん。今では、相手にされないどころか、相談をされる側となりました。
柏崎は若い人の活躍が目立つようになりましたが、その影には水戸部さんたちの努力があったのですね。

それでも、水戸部さんの挑戦はまだまだ終わりません。
「今年は特に、子どもたちへの防災教育に力を入れてやっていきたいですね。自分たちのまちの成り立ち、歴史や文化を伝えながら、これからの地域をどう創っていくのか一緒に考えられるマインドを作っていけたらいい。防災関係は事業にしづらい面があるのですが、やはり中越沖地震の経験を活かしたいという思いがあるので、今後も防災関係の事業はやっていきたいです。」

 「ラーメン店を持つという夢も、公園を作るという夢も、まだ諦めていない、これを柏崎市内の集落で叶えたい。」と語る水戸部さんですが、確かにこの実行力をもってすれば、どんな困難も切り拓いていくのではないかと思います。
 これからの柏崎のまちづくりに、今後も注目です。

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